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日韓併合前の朝鮮事情1「迷信」

 今年は日韓併合(日韓合邦/韓国併合)百周年ということで、日本国内でも一部の朝鮮半島人や自称識者の方々が、言葉を奪われただの、文化を奪われただの(俗に言う七奪)と歴史無視の感情論で、もっと言えば単なる妄想を電波や紙面を通じて発信しています。当時の朝鮮は、彼等が言うように非人道的な手段に出てまで奪うべきものがあったのでしょうか。

 当時の朝鮮半島と半島人を見て、偽らざる姿を記した書物が沢山あります。それらの書の多くは、朝鮮を友好的に書いてます。日本の保護国となった朝鮮半島(大韓帝国/明治38年)には、日本人もチラホラと訪れるようになって来ました。そんな時代の書物を紐解けば当時の空気感が分かるのではないだろうかと思い、少しずつですが紹介していきます。

 暫くは「最近朝鮮事情(荒川五郎著)清水書店/明治39年5月」より、朝鮮の実情を紹介したいと思います。この本は多くの日本人に朝鮮半島を知って貰おうと、ありのままの朝鮮を細かく記した本です。第一回目は、朝鮮人の迷信について書かれた箇所を書き出しました。

※簡単に時代背景を説明すると、明治32年に近代化を目指すも失敗し、明治38年に大韓帝国は日本の保護国となりました。そして明治43年遂に韓国は日本に併合されました。

※旧仮名遣いは現代仮名遣いに直しており、送り仮名や熟語も現在使われている様式に直しています。誤字脱字等あると思います。不明な点は原著を当たって下さい。

最近朝鮮事情(荒川五郎著)清水書店/明治39年5月
朝鮮人の迷信(122~125ページ)


●文化の開けない人民が迷信深いのは一般の有様で、それが為に苦しめられ害せられて、その進歩発達を妨げられることは決して少なくない。朝鮮人もその一つである。

●朝鮮人は病気とかその他吉凶禍福の事など多くは皆迷信に支配させられて、医薬よりも祈祷、勤勉よりも祈願、戒憤よりも呪いという有様で、為に身を損ない身代を失い困難に陥るものはドレだけか分からない。

●病気に罹ると大抵死霊生霊、その他狐などの憑き物の為に、その祟りでこのようになるのであるからと云うて、巫女を招いて祈祷をして貰うものが多い。巫女の外に、男子で修験者のようなものも居る。

この風は下つ方ばかりでは無く、王様の宮中で今日まだこの弊風がある。去る明治三十五年の夏、北清地方からコレラが伝わって来かかったので、その時宮内府顧問であって米国人のサンズが勧めて、勅命を以て警務応に臨時衛生院というものを設け之を予防しようとしたのに、宮中では反って巫女を集めて悪疫退治じゃと称えて、頻りに祈祷をやって居った。

●又人民も之に倣うて、国中八方から、名高い巫女をよび寄せ、一の大祈祷会をするという有様で、文明的予防法には耳を傾けるものが無いから、折角の臨時衛生院も何の活動もすることが出来なかった。

●この巫女というのは、所々の関帝屏や城隍、その他色々訳も分からぬ神社淫祠の社などに居て、人の気をはかり不幸に乗じて巧みに弱みにつけ入り、種々出鱈目の事を並べて祈り祈祷をするので、日本の梓巫に似て居る。

●併し日本の梓巫のように単に因果応報を説くのとは違うて、祈祷もすれば呪咀(まじない)もするのみか、宮中にも出入りして、迷信の深い所の王妃女官などの間をとり入りて、勢力を奮うて居るものが少なくない。先年の改革の時に巫女が宮中に入ることを禁じられたけれど、それは表面のみで、内実はやはり同じことである。

●この巫女の残忍な実に聞くだに気がいたくなるほどの事は、朝鮮の取りわけ田舎などで、生まれてから五・六ヶ月位の赤児を一人家に置いて皆のものが仕事にでも出て居ると、時々この巫女にさらって行かれることがある。

●巫女はこの何も知らぬ赤児を瓶の中に入れて、二・三日もすてて置く、赤児は飢えに堪えられないのであるから、あたかも火でも付いたかのように頻って泣く、泣いて泣いて声も出ない程になる。

●その飢えて泣いていよいよ声も得出さない程弱ったとき、その巫女である鬼婆は糸でくくった飴を赤児の目の前にブラさげる。之を見たる所赤児は心身共に疲れながらも如何かしてその飴を取ろうとして、かよわい手をさしのべ、取ろうとしては倒れ、倒れては起き、尚も悶え苦しみながら小さい指をさし伸べて一心をこめて之を取ろうとする。その指を彼れ鬼婆は剃刀を以て、キシャッと切りとるのである。

●アア、無残、如何に残忍の極みなるよ。その指を切り取った鬼婆は、ニッコリとして恰も大金でも得たかの如く之を箱にしまい置く。これは一心全くこの指先に宿って居るので、之を呪咀(まじない)に用いて、余程功験があると言うのであるそうじゃ。アア何と無情残酷なことでは無いか。

●この一事で如何に迷信の強いかが分かるが、モ一つ迷信の慣わしを挙げて見ようならば、京城でも光門の外に出ると、高く壁に藁包みが懸けてあるのが見える。これは天然痘患者の死骸である。

●これは朝鮮人の恐れて居る天然痘は疱瘡の神が自分の飢えを凌ごうが為に、やって来るのであるという所から、一家内の中に天然痘で死ぬものがあると、その死骸を藁包みにして門外の塀に懸けて置いたり、又は山の樹の間などに懸けて置いて、その肉が腐れるままに打ち捨て置き、漸く骨の現れる時になってから弔いする。

●これは死んだ者の肉を疱瘡の神に献げて、十分に食いあかさして、二度と再びやって来て、人につかないように、と云う意から斯様にするので、全く疱瘡の病気を疫病神のしわざと思うて居るのである。

●この外斯う云う類を挙げればマダ少なくない。併し日本にもマダ迷信家は沢山ある。あんまり朝鮮を笑うように、西洋人等から吾々を笑われぬようにせねばならぬ。

「朝鮮人の迷信」から分かること、思うこと

1.明治35年当時、田舎の朝鮮人が迷信に囚われ未開人のようなこと(生け贄のような儀式)をしていただけではなく、国王の間(宮中)でさえ同じようなことをしていた。

2.天然痘による死者を藁に包んで、腐るまで塀に掛けて置く様は、迷信への依存もさることながら衛生観念の無さが甚だしい。更にこれらは死者への冒涜行為ではないか。

3.このような非文明的な迷信や慣習を改めさせたことも、「文化を奪った」ことになるのかも知れないが、文明人として生きるには避けては通れないことだと思う。

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