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日韓併合前の朝鮮事情4「国体」

 日帝に国王を奪われた(俗に言う七奪の一つ)と若干ヒステリー気味な主張をされる南北朝鮮人がおりますが、当時の朝鮮人たちは王宮とどう関わり、国家にどのような想いを馳せ暮らしていたのでしょう。その辺りについての概略を見ていきたいと思います。

 引き続き「最近朝鮮事情(荒川五郎著)清水書店/明治39年5月」より、朝鮮の国体についての記述を書き出しました。
※旧仮名遣いは現代仮名遣いに直しており、送り仮名や熟語も現在使われている様式に直しています。誤字脱字等あると思います。不明な点は原著を当たって下さい。

 今回は「朝鮮紀行(イザベラ・バード/時岡敬子訳)/明治27年~明治30年にかけて旅行した記録」からも少しだけ引用しています。

朝鮮の国体(63~66ページ)

●以前から朝鮮は殆どシナの付属国というても可い有様で、無論シナはその政策をとって居たので、朝鮮におけるシナの勢力というものは実に非常なものであった。

●ところが日清戦争で全くその勢力を転倒、迎恩門を倒して独立門を立てるという仕ぎとなり、朝鮮の内政も大改革が行われ、朝鮮の国は大韓国という豪義な国となり、国王様は大韓国皇帝陛下と御立派にならせられ、皇太子様が立てられる。大韓国大皇后様も定められるいう、エライ有様になった。

●それから明治32年8月には大韓国国制という、九ヶ条より成る憲法見たような厳めしいものが御配布になり、世界万国の公認した自由独立の帝国で(第一条)、無限の君権を享有し自立政体を行う(第三条)ということを公定せられた。

●ところがこの大韓国は他の国と違うて、その王室は決して国民とその休戚を共にするということは無く、只貴族のみは王室と利害を共にして居るようであるが、それでも国王の信任を得たものはその恩沢にも預かって利益もうけるが、その他はそうでない。であるから誰も彼も国王に取り入ろうとして、種々に魂胆をめぐらし、運動やら紛争軋轢実に醜状を極め、従ってその間に立って侍女や宦官、宦妓、巫女などが旨いことをやるのである。

●常民に至っては気の毒なもので、税を納めたりその他尚義務というものはあるけれど、権利というては更に無い。王室の普請やその他慶び事や弔い事など、その入り用を割り付けられたりなど色々苛められることはあるが、更に王室の恩沢を蒙るということは無い。それは実にあわれのものである。

●だから常民共が王室を見ること旅人も同様で、王室に大事があろうが一向平気なもの、更に気にもかけない。かの27年の王宮の事変の時(※注1)も、また37年今の王宮である慶運宮が焼けたとき(※注2)でも、京城の人民らはガヤガヤ王門の外に集まって来て、例の長キセルで煙草をふかしながら、互いに笑いあい語り合うて面白そうに見物しているという有様である。

●こういう風で上の者も下の者も、皆唯自身の事ばかりを考えて、更に国家という観念は無い。朝廷ではドシドシ租税を取り立てるが、それは国家の用にするのでは無い。国王も大臣も観察使も群守も、皆自身の為のみを思い、吾が家を富まそうと勉めるのみである。

常民もまた国の為などいう観念は毛頭も無いので、余計に儲ければそれだけまた余計に取り立てられて手元には残らないからというので、怠けられるだけは怠け、遊ばれるだけは遊び、田や畑や山や林やなど、これを仕立てたり、手をかけて、確実な財産を作ろうなどという考えは無いらしい。この点が即ち朝鮮の今日の有様を致す所以でもあろうか。

●ここに貴族常民の訳を説いて置かぬと分からぬが、朝鮮では階級制度が厳格で、それは王族宮家を別にして、両班、常民、奴婢の三種に分かれて居って、己より以下の階級の者に対しては圧政をしても別に怪しみもせず、これを当然の事と心得て居る。

両班とは朝鮮の貴族で、東班西班の両族からなって居る。東班は即ち文班で、西班は武班である。両班とも生まれながら官吏となる特権を有し、納税の義務も無く、窮すると即ち常民から衣食の料など取り立てる権利がある。今は武班よりも文班が重んぜられて居る。

●常民とは士農工商の人、奴婢とは即ち奴隷の事で、奴婢には公賤私賤の区別がある。公賤は重に罪人からこれを採るので、私賤は男には稀で女子に多い。

●また宦官は役人になることの出来ないもので、野心はあるしという親達が己が幼児の勢力を切り去り、大きくなってから、宦官に出すので、これは後宮に出入りして種々の用をするものであるから、賢いやつは大いに勢権を得るに至るのである。

●宦官は男勢が無いから面貌は男子のようでも、声はまるで婦人の如く、髭も生えなければ色消も起きぬ。従って多く利欲に傾き、また残忍になりがちである。シナには二千年来あった者であるが、二十世紀の今日尚このようなものが居るとは実にあきれた話しである。

※注1 明治27年7月、日本軍は大院君を奉じて京城の朝鮮王宮を占拠した。
※注2 明治37年4月、咸寧殿で発生した大火災で慶運宮は殆ど燃えた。

迎恩門   独立門

朝鮮紀行(556~558ページ)

 その一方で、国民のエネルギーは眠ったままである。上流階級は愚かきわまりない社会的義務にしばられ、無為に人生を送っている。中流階級には出世の道が開かれていない。エネルギーをふり向けられる特殊技能職がまったくないのである。下層階級はオオカミから戸口を守るのに必要なだけの労働しかせず、それには十二分な理由がある。首都ソウルにおいてすら、最大の商業施設も商店というレベルには達していない。朝鮮ではなにもかもが低く貧しくお粗末なレベルなのである。階級による特権、貴族と官僚による搾取、司法の完全なる不在、労働と少しも比例しない収入の不安定さ、いまだ改革を知らない東洋諸国の政府が拠り所とする最悪の因習を繰り返してきた政府、策略をめぐらすどろぼう官僚、王宮と小さな後宮に蟄居したせいで衰弱した君主、最も腐敗した帝国との緊密な同盟関係、関係諸外国間の嫉妬、国じゅうにはびこり人々を恐れさせる迷信、こういったものがこぞって力を存分に発揮し、朝鮮をわたしが第一印象としていだいたような、資源などなにもなくうんざりするほど汚らしい状態にまで落ちぶれさせたのである。
 (略)
 朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。居候をおおぜいかかえている男にとって、そこから逃げだすひとつの道は官吏になることなのである。
 (略)
 これまでわたしは最終的に食いものにされるのは農民層だといやになるほど繰り返してきた。農民はほかのどの階層よりも懸命に働いている。いくぶん原始的であるとはいえ土壌と気候によくマッチした手法を使っており、土地の生産性を楽に倍増できるはずなのである。ところが働いた分だけの収入を確実に得られるあてがまったくないため、農民たちは家族に着せて食べさせられるだけの作物をつくって満足し、いい家を建てたり身なりをよくしたりすることには恐怖をいだいている。無数の農家が地方行政官や両班から税を強制取り立てされたり借金を押し付けられたりして年々耕作面積が減り、いまや一日三度の食事をまかなえる分しか栽培していない。搾り取られるのが明々白々の運命である階層が、無関心、無気力、無感動の底に沈み込んでしまうのはむりからぬことである。(中略)両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。

「朝鮮の国体」「朝鮮紀行」から分かること、思うこと

1.当たり前だが、朝鮮はシナ(清)の属国であり、日清戦争で日本が勝利し始めて朝鮮を独立国と認めさせた。またその時に独立門が立てられた。

2.国王に取り入って私腹を肥やす者が後を絶たず、ロビー活動が盛んに行われていた。これは今も全く変わってない。

3.一般朝鮮人にとって王室で何が起こってようと感心の外で、王室とは、ただ金を絞り取られるだけの存在といっても過言では無かったのかも知れない。そしてその絞り取ったお金を国家運営に使わず、祈祷など私的行為に使用していた。

4.階級制度が厳格化しており、奴隷はひたすら奴隷の道を歩む他なく、殆どの民が両班によって搾取される存在だった。

5.人の親切につけこむ体質は、現在もまだ受け継がれている。昭和31年当時生活保護を受ける朝鮮人は日本人の10倍の率、また現在に至っても約5倍の率である。在日外国人(殆どが在日韓国・朝鮮人)への生活保護を打ち切り、それを日本人への生活保護にすべきではないか。

6.王宮から奴隷に至るまで国家観が欠如していた。これは今の日本にも当てはまる気がする。このように統治国家の民から、絞り取るだけ絞りとって好き勝手に金を使いまくる国王・王宮を、現左派の方々が言われるように当時の朝鮮人は慕っていたのだろうか。とても疑問が残る。

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