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在日朝鮮人事情2「終戦前の在日朝鮮人の動態」

引き続き「在日朝鮮人運動の概況:法務研究 報告書第46集・第三号(坪井豊吉著)」から主要な部分を抜粋引用しながら当時の状況を見ていこうと思います。

※本文中の漢数字は読みやすさを考慮して英数字に、「はじまつた」などは「はじまった」表記にしています。誤字脱字等あると思います。引用部分は「blockquote」で囲み、色は私が付けています。不明な点は原著を当たって下さい。

序章 在日朝鮮人の実態
第1節 終戦前の在日朝鮮人の動態
1、移住と労務動員による増加

 明治16年末に、わずかに16人だった在日朝鮮人は、日韓合併の翌44年末には2,527人に達した。それらの大部分は、新興日本に安住と職場を求める労働者と、先進文化を学ぼうとする留学生であった。その後も、当局のきびしい移住制限と不正渡航阻止政策の実施にもかかわらず、あらゆる手段をつくしての移住と密航が継続されて、昭和13年末には実に799,878人の多きに達していた。

 そのころから、日本の大陸発展に伴う国内産業の異常な新興は、急激な労働力の不足を訴えるにいたったので、同14年4月の国民総動員計画に基づいて、朝鮮人労働者の移入方針が決定されるところとなった。そして同20年4月「半島人労務者の新規移入は、原則として当分見合せる」の閣議報告があるまでに724,787人(期間満了帰国者を含む)が動員された。また別に密航の労務者なども、ほぼ同数に達していたようであった。これらの労務者は、炭鉱方面でもっとも歓迎され、その約35%が就労していたが、かくて昭和14年末に全国炭鉱労務者の6%を占めていた朝鮮人は、同20年3月には32%に達していた。したがって動員労務者は、炭鉱をはじめとする各職場で大いに重宝がられていたが、その労務管理はきわめてまずかった。そこで、盛んに引抜き移動や逃亡がおこなわれたが、20年3月現在の逃亡と行方不明者は約22万に達し、期間満了帰還者、不良送還者などをのぞくと、終戦当時の各職場の現在数は、動員労務者の半数にも足らなかった。なお終戦後も日本に残留している動員労務者は、約2万足らずと予想(抽出調査)されている。終戦当時までの人口増加の状況などは、次表のとおりである。

「当局のきびしい移住制限と不正渡航阻止政策の実施にもかかわらず、あらゆる手段をつくしての移住と密航」を継続してまで、新興日本に対する憧れや希望が大きかったのでしょう。こういった事実を無視しないで欲しいと切に願います。

また、国民総動員計画(国家総動員法/昭和13年制定-昭和21年廃止)で72万人が動員されたが、ほぼ同数の密航者もいたというのは、吉田茂元首相からマッカーサーに宛てた書簡と合致します。
逃亡や行方不明者が22万人に達したというのは驚きです。この辺りの背景は、今後詳述されていますので今は余り言及しません。

2、出身地、職業と生活状態

 戦前の渡来者の移住理由は、生活難と求職出稼、労働と金儲けが、8、9割を占め、おおむね下層階級のものが多かった。そして、いわゆる出稼根性と怠惰性から定着するものはきわめて少なく、職場を転々しまた絶えず日鮮間を往復していた。しかし大正から昭和時代に入ると、一時経済界の不況におそわれ動揺したが、まもなく異常な産業界の発展にともなって、やや職場と生活の安定を得、次第に定着する傾向をもっていった。

 その出身地をみると、日本に近い慶尚南道と全羅南道が圧倒的で、その約8割を占めている。したがって北鮮出身者は、在日総数の約3%弱で南鮮に本籍をおくものが絶対多数を占めている。

 また職業についてみると、そのつよい体力と生活力によって鉱山、土建、日雇などの筋肉労働部門を開拓進出している。計画的労務動員がおこなわれる前年の昭和13年の統計では、労務者が全職業の約8割を、また全在日人口の41%を占めていた。そしてかれらの生活はまずしく、多数の世帯が一戸に群居するのを常とし、また家賃を滞納し、借家紛争をおこすことが多かった。

 さらに、その教養の程度も低く、性格も粗暴で喧嘩論争を好み、飲酒、賭博にふけり、徒党を組んで凶暴にわたることもしばしばであった。そのため窃盗、障害、賭博その他の犯罪を犯すものも、日本人よりはるかに多く高率であった。

当ブログで以前まとめた「日韓併合前の朝鮮事情3「人」」の様な、朝鮮人の特質が出ています。新しいものにとても興味を持ち、後先考えず全ての財産をつぎ込んでしまう。勤勉に働くことを好まない怠惰性や、粗暴な性格も影響して、犯罪率が日本人よりはるかに多かったというのも、現在の在日韓国朝鮮人をみても分かる通り、基本は変わらないということでしょうか。

生活が貧しかったことを以て、安直に差別されていたからだと主張される方がおりますが、それは事実から目を背けた意見であると思っています。一般朝鮮人にとって、貯蓄という概念が余りなくその日暮らしであったことなどがとても影響していると思います。(もっと根本では、朝鮮人の粗暴性が日本人と合わなかったということも考えられると思います)

3、留学生と公務員と軍人軍属

 明治年代の在留朝鮮人は、そのほとんどすべてが外交官と留学生、亡命者などであったとみられている。日韓合併の後は、留学生が急激に増加し、大正元年末の535人から昭和17年末には実に29,427人と激増している。また一般の移住労働者が、南鮮出身者であるのにたいして、これらの学生はおおむね全鮮から留学していた。そして帰鮮後は、その官政界に、あるいは産業経済部門に進出し、とくに言論思想界の方面に大きな影響をあたえた。

 そして、上は衆議院議員から下は町村役場の吏員、警防団長や町村会議員にいたるまで、日本のあらゆる階層に進出していた。また多くのものは朝鮮に帰って、その指導的役割を大きくはたしていたが、その文官高等試験合格者は約3百名であった。かれらはいずれも帰鮮してから、官政界の上層部に進出していたが、終戦後も南朝鮮では依然として有力な指導層を形成している。

 また終戦当時の、日本陸士出身の正規の将校は約50名であったが、そのほか特別志願、学徒志願出身の尉官級将校も約2百名に達していた。また昭和13年度からの志願兵制度と、同18年度からの学徒志願兵制度による終戦当時の在隊者を加えた軍人軍属の総数は、陸軍中将2、同少将1、同大佐3、同佐官級25、尉官級と見習士官約200(海軍約10名)以下陸軍186,790人、海軍22,299人、陸海軍属154,907人にのぼっていた。そのうち昭和18年の臨時特別志願兵(学徒から幹部候補)は3,893人であった。彼等は、いずれも当時の日本の官公吏、軍人として、その朝鮮統治と国威発展のために、大きく貢献していた。終戦後も南北鮮のとくに軍部のなかで、大きな役割を果たしているようである。

現在、韓国を闇雲に擁護している人たち(特に「従軍慰安婦」支援者たち)は、しきりに日本は加害者だとの立場で話しますが、多くの朝鮮人が<志願して>日本兵として、同胞として欧米列強相手に戦ったのです。自分たちも同じ立場にありながら、現実から目を背けるのは愚かだと思うし、そのような態度では一緒に戦った朝鮮人にも失礼ですし、ましてや友好などは絶対にあり得ません。

名越先生の著書でも詳しく当時の朝鮮人の模様が書かれています。以下に状況が分かりやすいところを部分的に引用しました。

日韓共鳴二千年史(名越二荒之助編著)」より一部抜粋。

2、聖戦完遂に熱狂した朝鮮の人々
 ──日韓にはこういう時代があった

 大東亜戦争の理想に共鳴した朝鮮の人々
 こうした熱狂的とも言える空気の中で、志願者は増大する一方でした。日本政府もついに昭和17年5月、それまで日本人に実施してきた徴兵制を朝鮮人にも実施することを発表しました(実施は戦争末期の1944年4月)。
 戦後の日本では兵役は苦役とのみ受け取られていますが、当時の日本では(現在のアメリカやイギリス、そして韓国などでも同様ですが)国を護る兵士となることは大変な名誉でした。ところが、日本人と朝鮮人は平等と言いながら、日本の青年だけが国民の歓呼の声に送られて次々と戦場に赴いているのに、朝鮮の青年だけはカヤの外に置かれていました。日本の友人たちが出征するたびに、朝鮮の青年たちは「やはり我々は二等国民なんだ」と思い知らされることになったのです。
 ですから、朝鮮人にも徴兵制を実施することが発表になると、朝鮮の識者たちから「同胞たちは早くから…この日の来るのをどれほど待ち焦がれていたことか」(崔麟、『毎日申報』1942・5・10)といった歓迎の談話が次々と発表されました。こうした当時の朝鮮の雰囲気を朝日新聞(1942年5月10日)は次のように報じています。
<…昨年の大東亜戦争開始以後の朝鮮人の戦争完遂に関する熱意は、献金に、あるいはその他各種の銃後援護に強く表明され、内鮮一体の機運ますます強固なるものがあるので、政府は朝鮮同胞のこの報国の赤誠(祖国に尽くそうというまごころ)に応え、朝鮮に徴兵制を施行し昭和19年度より実施し得るごとく…決定した>

今必死で韓国(朝鮮)擁護に走っている人たちは、自分たちでわざわざ「差別」を産み出しているようなものです。これ以上、命をかけて戦った朝鮮人兵士の方々や慰安婦として貢献された方々の名誉や尊厳を破壊するような行為はして欲しくないです。「従軍慰安婦」だとか、日本軍「慰安婦」などと造語を用いてユスリタカリの行為は、品性下劣です。

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