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フリーチベットと唱えれば保守思想であるか

 答えは否です。日本以外の立ち位置で”フリーチベット運動”を見れば保守というよりは寧ろ左翼的であります。では何故、日本ではいわゆる保守派と呼ばれる方々の多くがこの問題を取り上げるのでしょうか。

 一つ目は反共・反支那が掲げられること。二つ目は戦前の日本とチベットとの関わり。そして三つ目として、そもそも日本での保守思想自体が世界的に見て左にシフトしてるから。ではないかと思っています。

 一つ目は皆さん異存が無いと思います。日本は、千年以上前から支那と精神的・経済的・軍事的に喧嘩──日本風に言えば、仲良く喧嘩している状態かな──しており、妄想や願望で日支友好を唱える方以外の全日本人は支那に良い印象を持っていないでしょう。チベット問題の元凶も正にその支那であることから精神的共闘状態になっているのだろうと思います。

 二つ目は現実問題としての、戦前のチベットとの関わりを重視し、チベットを見捨てる訳にはいかないという義侠精神や歴史的経緯を重視する現実主義的なものからではないかと思います。この辺りの歴史については、多くの書物が出版されていますので各自読んで頂ければと思います。

 三つ目は何の裏付けも無い正真正銘、私の考え──殆ど妄想と言っても良い──です。日本への憂国心・愛国心・護国心を土台として、国家主義的なものと地球主義的なものに分かれて対峙するのが、まともな思想論であろうと思います。

 しかしながら、日本には二千六百七十年連綿と続く皇室が存在することや、大東亜戦争敗戦で人工的・自然的に起こされたパラダイムシフトにより反日本的思想が大手を振って歩けるようになってしまったことが、日本での思想論を難解にしているのかなと感じます。

 簡単な例を挙げれば、通常自国の食文化──例えば、味噌汁とか鯨料理などの日本風なものを想像して下さい──を否定されたら怒るものであるし、誇りに思ったり、その誇れる物を他国へ発信したいと試行錯誤すれば、それはもう十分な郷土愛・愛国心であろうと思うのです。

 ところが日本では決してそうではなく、そういった人が率先して国旗・国歌を冒涜したり、皇室廃止を訴えたりしています。要するに日本は、郷土愛・愛国心的なものと反日本的思考が同一人物に共存してしまうことを許容する歪な国であるのです。恐らくこのことが、思想を語る上での障壁となり話しを複雑化しているのだと思います。

 少し脱線します。先日、支那の民主化運動家である劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞しました。受賞そのものは何処の何人であろうと喜ばしいことだと思います。

 しかし、支那で民主化運動をやっているから日本の味方であるというわけでもなく──普通に反日・抗日思想を持っているかも知れない──、ましてや一党独裁の支那が民主化することになった場合、それによって日本にメリットがあるのかと考えれば、素人の私でさえ恐らく何も無いだろうと想像できます。

 要するにここでも、いわゆる保守派と呼ばれる方々は反共・反支那の思いがあれば何となく仲間であるというような感覚に陥っているのだろうということです。

 劉暁波氏は、支那の民主化を願ってはいるけど、支那の民主化を達成した後、一致抗日を合い言葉に支那民衆と共に日本に敵意を向けるかも知れません。自国を思う気持ちと、外国への思いは違うし、これは思想的には極々まともな考え方だろうと思います。

 話しを保守思想自体が左にシフトしているのではないかとの仮説に戻します。

 私が思想論を展開するときに必ず前提条件とすることは、「天皇陛下・皇室を敬い、国旗・国歌に敬意を払うのは思想以前の問題で日本国民として当たり前なことであり、これは確定事項であって異論はあり得ない。」ということです。

 ところがこれに異を唱える者達──例えば日教組に代表されるような国家や道徳を否定する輩──が現れ、皇室・国旗・国歌を否定する活動を始めました。物事の土台となる絶対的に揺るがないものを受け入れることは、私は思想だとは思っていませんが、それを否定することは明確なる思想であろうと思います。

 そして、確定的土台を否定された方々──いわゆる右派・民族派・保守派と呼ばれる普通の日本人たち──は、ことさらに国旗・国歌を強調し反対勢力への対抗措置としました。このようにして本来当たり前であるはずの事象・規範が、その枠を越えて「思想」の一端を担ってしまうことになったのだろうと思います。

 このことからも分かるように、日本の思想論は未だ成熟しておらず、発展途上なのだろうと思います。なにせ本来の中心地点が、日本の確定的土台を否定する思想(左)に引っ張られて、シフトしてしまっているのですから。まずは破壊された土台を元に戻し、中心地点を再建する必要があります。

 ここまで私が展開してきた殆ど妄想と言っても良い私の考えを立証するに相応しいことが2年前に起こりました。

 北海道札幌市でも二千八年の洞爺湖サミット時にフリーチベット運動が盛り上がりました。私達とは別にインターネットを中心に呼び掛けられた運動も展開されました。そこのデモ行進では「日の丸禁止」というルールが出来たそうです。

 デモ終了後にスタッフと思われる方と簡単にお話する機会がありましたが、その時にスタッフの方が言ってました。本当は日の丸掲げたいのですが、「主旨がぼやける」「右翼みたいだ」「嫌いだ」という意見があって今回は見合わせましたと。

 私達のデモを見て、やっぱり日の丸は良いですねと仰っていたので運営上やむを得ず日の丸禁止にされたのでしょう。その苦労は私もよく分かります。意見が違えばある程度の落とし所を模索しなければならないですし、結局はどちらからも不満が出ますので。

 さて、この時に桜井会長が、日の丸を掲げないフリーチベット運動は欺瞞であると声を挙げておりました。当時、私は一参加者として「まぁそうだろうけど、わざわざ喧嘩売ることないのに。」などと楽観的に思っていました。

 この時のインターネットにおける議論を見てみると、「日の丸を掲げると聴衆から穿った見方をされる。」とか、「今の状況では右翼と思われるから得策ではない。」他には「主張がぼやけて何のデモか分からなくなる」などの意見が大勢でした。

 しかしフリーチベットという支那からの完全独立・解放を訴えるデモにおいて、自国の国旗に敬意を払えない様では欺瞞と言われても仕方がないと思います。もし、日の丸を掲げることで、主張がぼやけるならそれは主張自体に脆弱性があるということだし、今の状況で駄目なら数年後も駄目でしょう。そもそも右翼と思われたら何だというのでしょう。チベットの窮状を訴えるのに思想の左右は関係ありません。

 チベットは今正に存亡の危機にあり、自国の「歴史・伝統・文化」という国家にとって大事なものを守ろうと命がけで戦っているのです。それを訴える日本人が、自国の国旗を高らかに挙げることができないでどうするのでしょう。国家とは何かという大事な問題であるのに日本人が国家を否定してしまっています。

 これこそ、先に私が書いた妄想思想論に合致する現象で、本来当たり前であるはずのことを思想にしてしまったが為に、本来基軸的には左派の方まで、保守であるかのような状態になっているのだろうと思います。

 フリーチベットと叫んで見ても、自国の国旗を掲げることができず、「国家」の枠組みを尊重できないなら、それは保守思想とはとても呼べないのでは無いでしょうか。むしろ保守とは最も遠いところにある地球主義的な考え方であるとしか言えません。

 ですからフリーチベット──例え反支那をスローガンとしても──と叫んで見ても、結果的に様々な理由を付けて国旗を否定するならば、国内のみならず、全世界的に見ても左翼運動に他ならないと思います。ということで、フリーチベットと唱えても、反共・反支那であっても、それは保守思想ではないという私の妄想を終了致します。

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平成22年10月30日0:11追記

 ツイッターでP2Cさんが本エントリーについてお話してくれています。こんなに稚拙な長文エントリーを読んで下さる方がいることがわかり非常に有り難く嬉しく思います。P2Cさん程の方なら、読めば理解してくれると思うのですが、私はフリーチベット運動への批判はしていませんし、フリーチベット運動は反支感情からの行動ではないことくらい前提条件として理解しております。

 またこれだけは絶対的に譲れないことですが、フリーチベット運動は、支那政府や共産党のみをターゲットにしたものでは決して無く、支那人とは何かということにまで踏み込まないといけない問題で、支那政府と支那人民は切り離せません。支那政府が悪で人民は関係無いなどという思考こそが欺瞞そのものであり、日本軍は悪だけど国民は関係無かったという飛び切りの詐称言論には一切同意できません。

 また、我々臣民が大御心を気安く語るべきではないと考えていますので、天皇陛下についてのご発言には答えることはできません。そして文中にある「天皇陛下・皇室を敬い、国旗・国歌に敬意を払うのは思想以前の問題で日本国民として当たり前なことであり、これは確定事項であって異論はあり得ない。」との表現は、書いてあるとおり私個人の思いです。

 読解力をお持ちの方のはずですが、何かを批判しようと一生懸命になると読解力や集中力が落ちてしまうのでしょうか。私も気をつけようと思います。

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平成22年11月1日23:26 一部修正

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