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在日朝鮮人事情6「李承晩ラインに対する民戦の態度」

引き続き「在日朝鮮人運動の概況:法務研究 報告書第46集・第三号(坪井豊吉著/昭和33年)」から一部引用します。
※本文中の漢数字は読みやすさを考慮して英数字に、「はじまつた」などは「はじまった」表記にしています。誤字脱字等あると思います。不明な点は原著を当たって下さい。
※注釈については全て私がつけたものです。知識不足により間違っている可能性もあります。

現在でも、韓国の政策に対して北朝鮮が、無慈悲な云々と強硬姿勢を貫いています。李承晩ラインができた当時、国内の在日朝鮮人の政治活動団体はどのような動向だったのか簡単に見ていきます。(本書462頁)

4 李ライン問題にたいする民戦の態度

民戦(注1)中央は、9月20日(注2)いわゆる李ライン(注3)問題にたいする声明を発表するとともに10月7日には「李承晩ラインの真相を知ろう」と題するビラ多数を作成して、全国的に配布した。その声明書の要旨は次のとおりで、民戦の最近の政治的な行動をしめしているとみられる。
「この問題は、ダレス(注4)、李承晩、吉田(注5)によって仕組まれた芝居で、東独における流血事件(注6)のアジア版である。われわれは日本との漁場や、通商、航海、貿易等の問題で、協定がなされなければならないと主張するものである。しかしそれは、韓日会談の復活のようなものではなく、あくまでも李承晩徒党を打倒したのちの、朝鮮民主主義人民共和国と日本政府のあいだで、結ばれてねばならない」。またビラのスローガンは、次のとおりでビラの文句もスローガンも、民対(注7)のハチス・ノート(注8)の指令とまったく同一である。

(イ)海の演習場と防潜網をとりのけ、漁場を日本国民に返せ──
(ロ)日、米、加の不平等漁業条約を破棄し、すべての国と互恵平等の漁業条約を結べ──
(ハ)太平洋軍事同盟の地ならし、韓米条約、日韓会談を粉砕せよ──
(ニ)朝鮮から外国軍隊は撤退し、朝鮮の平和的統一独立は朝鮮人民にまかせよ──
(ホ)戦争再開のためのアメリカの軍事ラインと李承晩ラインを撤退せよ──
(ヘ)インドおよびアジア諸国を参加させ、話合いで解決できる円卓方式で政治会議をすぐ開け──
(ト)朝日両民族は闘わない、再軍備を促進する両民族の離間策を粉砕せよ──
(チ)朝日両民族の敵李承晩徒党を打倒せよ──
(リ)反米、反吉田、反再軍備、統一政府の樹立──


注1:民戦
  在日朝鮮統一民主戦線の略称。朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)の前身団体。
注2:9月20日
  昭和27年9月20日かな?
注3:李ライン
  昭和27年1月18日、韓国の大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づき、韓国政府が一方的に日本海・東シナ海に設定した軍事境界線。いわゆる李承晩ライン。
注4:ダレス
  ジョン・フォスター・ダレス。米国の政治家。
注5:吉田
  吉田茂。日本の外交官、政治家。
注6:流血事件
  昭和4年5月、東ドイツベルリンで共産党のデモを弾圧した事件(血のメーデー事件)のことかな?
注7:民対
  日本共産党民族対策本部の略称。
注8:ハチス・ノート
  ハチスとは民対部のこと。民対会議のことをハチス会と呼称。民対機関紙「北極星」やその活動指針として出していたのが「ハチスノート」。民対から指導方針を伝えるため「ハチス連絡」「ハチス通達」「ハチスノート」などが随時ながされていた。

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当時は、日本共産党はソ連の影響が強かったり多くの在日朝鮮人が存在していたりと、今とは大分違いますが、上記で示しているビラのスローガンを見ると色々と複雑な事情があったことは推して知るべしでしょうか。李承晩は、日朝の敵という捉え方をしていたんだなぁ。

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